TOYOTA

いきなり日本の車ですが、世界で日本車といえばTOYOTAと言われていますので、ちょろっと付け加えておきます。

日本を代表する自動車メーカーの一社であるTOYOTAは、1933年に設立された豊田織機製作所の自動車部門を始まりとしています。

いまでもこの豊田織機製作所は豊田自動織機として、繊維機械の製造や豊田の自動車の一部車両の組み立てなどその他、幅広く事業を行っている会社です。

初代社長に就任した豊田佐吉氏の跡を継いだのは、娘婿である豊田利三郎氏でした。

豊田織機製作所には、鋳造や機械加工の技術がありましたから、それを活かす格好で2年間の研究期間の後、自動車製造を始めました。

その自動車部が独立して、「トヨタ自動車工業株式会社」がスタートしたのです。

1973年のことでした。

もともとの「豊田」は「とよだ」と呼ぶものだったようです。

創業当時は「TOYODA」、エンブレムは「豊田」を使っていました。

しかしロゴマークの一般公募により「TOYOTA」が洗練され、しかも末広がりの8画ということから採用されました。

「個人の会社から社会的存在」へと飛躍することを願ってのことです。

TOYOTAの工場が拠点としたことで、いままで「コロモ」と名乗っていたその土地も豊田市に変わりました。

そのうち太平洋戦争が始まりますが、日本はおともと負け戦です。

物資もないなかで、トヨタは簡素な軍用トラックを生産していました。

立派に軍需工場ですから、当然アメリカの襲撃の標的となります。

豊田の工場は爆撃される予定でした。

アメリカ軍による模擬原子爆弾パンプキンの投下訓練が8月14日には豊田で行われていましたから、戦争が長引けば原爆投下の可能性も十分にありました。

とにかく工場は、終戦を無事に迎えることができたのです。

フィットシャトルハイブリッド.jpn.com

戦後

しかし1949年に実行されたインフレーション対策のドッジラインによるデフレで、経営危機に陥ってしまいます。

この倒産の危機を救ったのが朝鮮戦争の軍需景気であり、また工販分離の選択でもありました。

この時に貸金を回収して経営を追い詰めた三菱銀行と住友銀行は、その後50年間、口座を開かれることはなく、メインバンクとなったのは三井銀行と東海銀行でした。

こういうのを「確執」というのかもしれませんね。

TOYOTAイコール儲け主義と言われるのですが、このような歴史を見ると「果たして車がすきで始めた仕事だったのだろうか」とふと思います。

会社の成り立ちはその創始期の気質を持ち続けるものですが、TOYOTAは「みんながTOYOTAのクルマに乗る」ということに夢があっても、車に対する愛情というものではないのかもしれないとも思ったりするのです。

であれば、「儲け主義」というよりは、「みんなが乗る車」を作っているのかもしれません。